タコのかぶり物をした店主が『マツケンサンバⅡ』に合わせて幹線道路沿いの路上で踊ることから、「踊るたこ焼屋」の愛称で知られる群馬県高崎市の「たこ焼べんてん 高崎本店(以下、たこ焼べんてん)」。新聞やテレビで紹介されたことから、全国や海外からもお客が殺到する人気ぶりです。しかし、急速に世間から注目を集めたからこそ、店主の伊藤奈緒子さんは思い悩むこともあったといいます。そこで、踊り始めた理由や経営者としての信念と葛藤について話を伺いました。
不安より、「やらないことの後悔」が上回り始めた商売
学校の給食をきっかけに「食」に興味を持ち、管理栄養士、調理師専門学校の教諭といった仕事に従事してきた伊藤さん。祖父母や両親、夫など、まわりに自営業者が多い環境で「自分もなにかやってみたい」と憧れながらも「商売なんてできっこない」と決めつけていたそうです。
群馬県道25号高崎渋川線沿いのプレバブの物件の話が舞い込んできたのは、そんな思いが高まっていたとき。知り合いの大家さんに「もうすぐ(前借主と)契約期限が切れるから、何か商売をやってみない?」と声を掛けられたことから一念発起しました。
「人が借りたのを見て、やっぱり借りればよかったと後悔している自分を想像したときに、能力云々などは関係なく、やらないと!と思ったんです」
業態については、周辺に競合店がないことと、食事にもおやつにもなり、老若男女から普遍的に愛される食べものとして「たこ焼き」に着目。やるからには妥協はしないと、ホットスナック関連の店をアルバイトで渡り歩きながら、自宅では生地の配合実験をスタートしました。味の追求をしすぎて体調を崩し、入院してしまうというハプニングもありつつ、こだわり抜いた究極のたこ焼きが完成し、2022年に「たこ焼べんてん」をオープンしました。
お客にプラスになる呼び込みとしてたどり着いた「踊り」
こだわりのたこ焼きを完成させ、満を持してオープンしましたが、当初は知名度がなく集客に苦戦。そこで「呼び込みに」と思い付いたのが踊りでした。
取材日はお客が集まっていたこともあり、「口上」からはじまった伊藤さんの踊り。独特の愉快さがある
「ただ必死に呼び込むだけだと、自分の思いの押し付けにしかならないかもしれません。そこで、お客さまのプラスになることはなんだろう?と考えた時に、呼び込みになると同時に、『楽しい・明るい気持ちになれる』という価値の提供にもつながるものを考えました。そして、何かに使えるかもしれない、と買っておいたタコのかぶり物を思い出し、かぶるだけではつまらないから踊ろう、となったんです」
そして始まった店前でのユニークな踊り。踊ることが「今ならたこ焼きがすぐ買えますよ」の合図にもなっています。踊り始めて1カ月もしないうちに地元新聞社から取材を受け、さらに、その数カ月後にはテレビの取材も入り、瞬く間にお店は行列のできる繁盛店となりました。
「いまだに踊ることへの恥じらいはありますよ(笑)。でも、私が踊らないと、この子(たこ焼き)たちが嫁げない。だから、恥じらいは毎朝ゴミ箱に捨てて、意識としてはプロのエンターテイナーとして踊っています。この道が私にとってのブロードウェイなんですよ!」
外カリ中トロ! 時間をかけてこだわりの生地を焼く究極のたこ焼き
こだわりのたこ焼きと伊藤さんの踊りにより、行列必至の人気店に成長した「たこ焼べんてん」。オープン時以外は「予約/引き換え券」が配布され、商品の受け取り時に精算をする販売方法となっています。
たこ焼きは、群馬名物の油で外をカリッと揚げるスタイル。500パターンを試作して完成したという特製の生地を数回に分けて継ぎ足して、大ぶりの玉を成形していきます。完成まではおよそ60分。粉の種類を変えれば焼き時間を短くすることもできるそうですが、味を落としたくないから、あえてそれはやらないそう。
「買わない」選択肢を用意することで、「いいお客」にリピートしてもらう
店頭に立つ伊藤さんの接客は、踊りと同様にパワフルです。手元でたこ焼きをせわしなくひっくり返しながらも、人情あふれるマシンガントークが止まりません。メニューの説明など事務的な会話にとどまらず「今日も笑顔が素敵!」「体、無理しないでね!」など、温かい言葉を掛けています。
「お客さまとコミュニケーションを取るとき、話の中に次につながるような会話も入れるようにしています。『お腹の赤ちゃんが産まれたら会わせてね』とか。別にたこ焼き買ってもらわなくてもいい、私が普通に赤ちゃんに会いたいし(笑)。たこ焼きはあくまで手段で、買いに来るより、会いに来てほしい。お客さまが疲れてそうだったら、『無理しないでね、疲れたら休んでね』と声を掛けたいですし、とにかくお客さまのプラスになるようなことをしたい」
一方で、急速に認知度が広がったために問題も発生しました。それはワンオペ営業で生じた、「手がまわりきらなかったこと」に対するインターネット上の書き込みです。
「SNSの誹謗中傷も全部見てしまっていたので、心身疲れ切ってしまって、一時期は臨時休業も多かったですね……。でも、それでは応援してくれるお客さまや家族に失礼だなと思い、やり方を変えていくことにしました」
伊藤さんが目指したのは「自分の店を愛してくれるお客に来てもらう」店にするということ。そのために、お客にとって必要な情報の発信を積極的に行うようになりました。
特に定休日や買い方のルールを十分に周知しきれていなかったため、「せっかく遠くから来たのに定休日で買えなかった」、「買い方がわからなかった」、「1パックしか買えなかった(混雑時は1グループにつき1パック)」といった不満が聞かれることが多々ありました。そこで、なるべく事前に理解を深めたもらうため、各種SNSやGoogle、店頭の貼り紙など、さまざまな手段を用いて情報を発信。ただお願いするだけでなく「定休日を知ってほしいのは、買えなかったショックやガソリン代の負担を減らしたいから」など、お客にとってのメリットも提示することで納得感を深めてもらいます。
「お客さまに『買わない』という選択肢を用意するのも大事だと思っていて、ちゃんとルールを理解した上で、買うか買わないかを選べたら納得感があると思うんですよね」
丁寧すぎるぐらいお客に説明を尽くす。その上で、説明を聞いたり読んだりするのが面倒だという人は自然と足を運ばなくなるし、協力的で心優しいお客は常連として残るようになる。実際、上記のような取り組みを始めたことで、お客の満足度も上がってリピーターも増えています。


「商品情報の発信は多くのお店がしていることなので、同じことをしていても埋もれてしまいます。だからこそ私は、心に響く文章で、お客さまとつながりたいんです。だって、思いは他に埋もれることがないから。踊ることもそうですけど、誰よりもお客さまの幸せを考えているという点が、他のお店との差別化につながっていると思います」
店の前での踊りも、心を尽くしたコミュニケーションも、すべての根本には「お客さまにプラスになることをしたい」という伊藤さんの思いがありました。その突き抜けた「思い」こそが、「たこ焼べんてん」を唯一無二の店にしているのかもしれません。
取材先紹介
- たこ焼べんてん 高崎本店
- 住所:群馬県高崎市棟高町130-2Instagram
- 取材・文小野和哉
1985年、千葉県生まれ。フリーランスのライター/編集者。盆踊りやお祭りなどの郷土芸能が大好きで、全国各地をフィールドワークして飛び回っている。有名観光スポットよりも、地域の味わい深いお店や銭湯にひかれて入ってしまうタイプ。
- 写真新谷敏司
- 企画編集株式会社都恋堂